くすの木の周りには歴史があります。歩くと遠いですが、車で10分から15分で行けるところがいくつかあります。
そちらを紹介します。

旧水田家住宅 文化庁 登録有形文化財

水田三喜男さんは、政治活動と共に教育にも大変力を注がれ、「学問による人間形成」を建学の精神として、昭和40年に埼玉県坂戸の地に城西大学を創立、人材の育成にあたられ、今日までその精神は引き継がれております。
水田家は、400年以上前に四国讃岐から移ってきたものといわれている。明治中頃の水田家当主水田竹蔵は、英国から初めて輸入されたホルスタイン種牡牛を飼育したことによって、酪農史にその名を残している。塾に学んで帰った当時の新知識人であり、初代の戸長、村長として信望をあつめていた。その息子信太郎も村長をつとめ、その在任中、県下にさきがけて村内に学校数校を一校に統合、近代校舎を建て、村の教育に貢献した。
水田三喜男さんが生まれてから中学まで育った場所が千葉県安房郡曽呂村です。大正12年の関東大震災でも近隣の建物が崩壊した中、唯一残った家である。現在の家は一度解体して壊れていたものは新しい扉などにし、柱や大きい木はそのまま利用して再建築している。
1人で家を管理しており、家の中の案内もしてくれます。分からないことがあればすぐにお答えしてくれます。

正面玄関
中庭
屋根裏

所在地    千葉県鴨川市西字西平良339-1

一般公開   午前9時~午後5時

定休日    火曜日

入場     無料

連絡先    旧水田家管理事務所  
       0470-99-3110

曽呂尋常小学校分教跡

戦後の日本を代表する政治家『水田三喜男』の出身校である曽呂尋常小学校分教場の跡があります。
村の中央までは程遠いので、低学年の児童は本校に通うことができず、四年生までは分教場で授業を受けることになっていた。一年から四年までの四十人に満たない児童が一つの教室で一人の先生に教わったのだから、なつかしい想い出は多い。
(水田三喜男自伝『蕗のとう』より)
水田三喜男がこの分教場に通ったのは、明治末から大正初めにかけてである。本校(曽呂尋常小学校)までは六キロもあるので、周辺の子どもたちはこの分教場へ通学したのであった。この分教場は、一八七四年(明治七年)、全国的に見てもきわめて早い時期に、この地域で開校した四つの小学校の一つで、一九六七年(昭和四十二年)の廃校まで、九十年の長きにわたって郷土の多くの人々を育んだ。
 今の校舎の状態は写真の時よりかなり傷みがあります。

〒299-2856 千葉県鴨川市西744

千葉県酪農のさと

千葉県南房総が日本酪農発祥の地ってご存知でしょうか。
平安時代から房総の広い牧場には馬が放し飼いにされて、朝廷に納められていました。
鎌倉時代、戦国時代には軍馬を生産するために牧場が機能していました。
安房の嶺岡一帯(現在の南房総市大井)は、安房国守の里見氏の牧場でしたが、江戸時代に 幕府が直接管理するところとなりました。
八代将軍吉宗は、享保13年(1728年)インド産といわれる白牛(乳牛)3頭をこの嶺岡牧で飼育、これを基に頭数を増やし改良を進めるとともに、疲労回復の強壮剤、さらには労咳や解熱を効能とした薬などとして用いた“白牛酪”という乳製品や傷薬として使った“御生薬”の製造を開始しました。
吉宗公が牛乳を使って乳製品を作ったことが日本の酪農の始まりとされており、千葉県は、昭和38年5月“日本酪農発祥の地”として「千葉県史跡」に指定しています。

酪農広場には何頭ものやぎがいます。中にも入れますので、ぜひ近くで見て観察してみてください。
広場にはヤギの糞がたくさん落ちているので気をつけてください。


第1白牛舎には日本には珍しい全身真っ白の牛がいます。黒と白の牛と比べてみてもいいかもしれません。

酪農資料館には世界の酪農史を学ぶ・牧場から学校まで・乳製品を作る道具、乳牛の生態・乳牛の飼育技術、日本の酪農のあけぼの・安房酪農家の先見・牽引車としての安房酪農・酪農王国への歩み・近年の千葉酪農・近年の酪農技術があります。
イラストや模型もあるので、わかりやすいです。

開園時間
9:30~16:30(最終入園:16:00)
休園日
毎週月曜日(月曜祝日の場合、翌平日)、
年末・年始(12/29~1/3)
〒299-2507
千葉県南房総市大井686
Tel:0470-46-8181 Fax:0470-46-8182