今から150年前、明治6年創立の上三原小学校が、「自然の宿くすの木」の前身です
もっとさかのぼれば、この地域が、安房と名付けられたのが、西暦713年、なんと、京都(794)よりも古い歴史のある地域(ちょっといいすぎ)
さてさて、どんな歴史があるのでしょうか、、、、、
古い古い時代に、人類が房総半島にやってきた
地図をじっくり見てみれば千葉県、房総半島はアジアの東の端
その下を、黒潮が悠々と流れています
東海道といえば、江戸時代なら街道で、今なら新幹線、が思い浮かびますが
東の海の道、橋もトンネルも道もない太古の昔、海上こそが移動のルート
黒潮に乗って、アジアの民は東へ東へ向かいました
房総半島の最南端、この安房の地がアジアの終着点
今でいう、関東、東北への玄関でした
だからずいぶん昔から、(昔こそ!)ここは随分、栄えていたわけです
縄文時代前記後半(約5500年前)
木製の丸木舟、櫂、丸木弓などを使い
クリやクルミなどの木の実、イルカ、シカ、イノシシなどを採食する人々が暮らす
(南房総市 加茂遺跡 くすの木から約12㎞)
弥生時代後期(約1800年~2000年前)
水田を伴う集落で暮らし始める
(鴨川市 根方上ノ芝条里跡 くすの木から17km)
大化の改新のころ(7世紀中ごろ)
蘇我蝦夷(蘇我馬子の子)が隠れ住んだ
(今も子孫の一族がくすの木近くに暮らす)
鎌倉幕府設立前(12世紀後半)
源頼朝が名馬摺墨(するすみ)を拾いあげた
(くすの木すぐ近く)
戦国時代(16世紀前半)
里見の側室が磑森(するすもり)に隠れ住み出産
(くすの木すぐ近く)
江戸のころには、房総半島の中心、交通のかなめとして栄えた
トンネルがない、橋がない世界では、街道は山頂にありました
一度上ってしまえば、川もない、谷もないのが山頂ルート
だからこのころ、ここは交通のかなめで、たくさんの人が行きう賑わいの街でした
1670年代には、周辺に神社がたくさん建立されています
明治6年 上三原小学校(くすのきの前身)開校
当初は荒神社の薬師堂で寺子屋だった
(祖母がこの寺子屋で勉強したという方が健在)
このころには峠には茶屋があり、祭りでは市が立ち並ぶほど栄えたまちだった
大正・昭和を、たくさんの子供たちの学び舎としてすごし
平成7年、閉校
平成9年
地元の上区自治体の手により、町営「自然の宿くすのき」として生まれ変わる
地元のおばちゃんがつくる料理や、おじちゃんに教わる竹細工などで、人気の宿となる
平成30年
いったん、廃業し、自治体による経営が終了
*くすの木、で検索なさった方は、この時に起きた事件をお読みになった方もいらっしゃるかもしれません
現在は経営母体が変わっております
令和3年
ゆるゆる合宿、しませんか? の宿として、三峯商事株式会社により新たに開業
綿々と続く、ここの暮らしの中に、ゆるっと暮らすヒントがありますよ、きっと